学ぶきっかけと学んでみて知ること、そしてその定着について

2年前に通っていた手話のことをふと思い出し

今は中断してしまった手話について書いた当時のブログを転載。



手話を始めたきっかけ

手話を始めてみて知ったこと


この講座を終了して、初級講座の見学に行った

2015年7月に書いたもの。


学ぶ内容はもとより学ぶ場のあり方に、当時から…といっても2年前だけど

関心は変わっていないんだな、という自分のスンタンスを知るなど。



ちなみにこれ、継続できなかったことのひとつに

手話で会話をする必然が日常になかったというのがある。

学びたい、学んだ、そして満足、終了。

というのはあるかもしれないが

できれば、学んだことを何かしらの場で生かしたり

発揮できる場があると、さらに学びへのモチベーションになると思うのだ。




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5月から始めた手話入門。


今日は、その先の初級グループにお試し参加。(※)

正直、毎週通う講座は

スケジュール的に拘束感があってイヤなのだけれど


講師は入門グループの時と同じ菊地さんだし

手話通訳者もこれまでと同じ三田さん。


そして、参加メンバーは

入門グループから繰り上がった希望者だけで

いつの間にか気心も知れていて

続けようという方向性での参画。


今回は復習で

結構忘れてしまっていたけれど


丁寧に、そして相変わらずの菊地さんの講師力で

これまで通りに楽しい時間。



ちなみに今日は出身地を聞くということで

47都道府県を手話で表現するということをした。



さて、初級グループのご案内とともにで配布された

サークル新聞のなかの≪活動の手引き≫に

この「勉強会のルール」にとても大事なことが書かれていたので転載。




①学習時間内、健聴者だけのグループで音声言語は使わない。


②あらゆるコミュニケーション手段を活用するよう心がける。

 手話の語彙・表情(目・眉・口・他の動き)・位置・空間等の利用


③手話表現がわからないときは、健聴者同士で聞きあわず

 必ずろう者に教えてもらう。


3つ、これだけ。

健聴者とろう者を分けない

=ココロのボーダーラインがないことが大事だということだ。



①と③について

 できるだけ同じ環境で学び合おうとするためには

 前提をそろえる必要があるということだろう。


 わからない時にどうするか

 そんな気持ちの理解や

 対応手段についても学びがある。


 そしてもっと大事なのは

 自分とは違う言語を持った方と

 わかり合うために手話という手段を学びに来ているわけなので


 副次的にとはいえ「音声」で意思を理解しようとすることは

 手話の学びの弊害になるだけでなく

 音声を使える側と使わない側ができてしまうことを意味する。



 ②に関していえば

 ろう者の方のゼスチャーや表情での表現は

 健聴者に比べて少々オーバーに感じる。


 しかしこれは、手話を学んでわかったことなのだが

 言葉を疑問形にしたり、感情表現を言葉の語尾の選択や音量

 音声の抑揚で表現するのではないから

 これら手話以外での副次的表現が

 意思疎通にとても重要になるのだ。

 

 手話も人によって個性が出るようだが 

 「真似ぶ(まねる)」と同じ語源である「学ぶ」には


 師に「真に似せる」ことができるように

 関わるのがいいということは昔から変わらない。

 特にこういった型を覚えるときには。



 ということで講座の最中は

 耳は手話通訳者の言葉を聞き


 目と感覚(感じ取る全体)はフル稼働。



 ろう者の方に伝わるほどの表現力を身につけることは

 日頃の表現力とは違うものをまとうこと。




 勉強会のルールにのっとり

 この場には「こころのボーダーライン」はない。

 


 しかしスキルには大きなボーダーラインがあるので

 ここは学んで埋めていくしかない。

 

株式会社ヒキダシ 代表取締役のブログ

個人と企業の潜在力を心底信じて引き出して、社会と有機的に繋ぐためにそっと背中を押す 「株式会社ヒキダシ」の代表取締役CEO岡田慶子とCOO木下紫乃が綴るブログ。

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